ディファイルド Defiled

hifie2004-11-27

シアターコクーン。「赤鬼」の時は観客席の中央に舞台があったけど、今回は普通に前方に舞台があるかたち。開演前から幕が開いててセットが見えてるのがちょっと興ざめな気がした。開演10分前くらいには客の入りが悪い気がしたけど、ぎりぎりになって人が入ってきて結局満席+パイプ椅子にざぶとん席+立ち見もでてた(開演した後に最前列近くの席の人が遅刻してやってきたのには閉口)。会場は80%以上女性でなんか変な雰囲気というか、自分がいることに違和感を感じてしまう。今日の私の席は1階バルコニー席。意外に役者も近くに見えていい席だった。ただ、やはり椅子が舞台正面を向いてるわけじゃないので、それが気になるといえば気になった。
さて、このお話は「図書館のカード目録廃止・データベース化に反対する元・図書館員が大学図書館に爆弾を持って篭城し、定年間際の刑事が説得にやってくる」という、なんともライブラリアンなネタです。正直最初は興味なかったけど、図書館がテーマの舞台なぞこれを逃すとこの先ないと思うので(この舞台自体は再演だけど)観にいってしまいました。まさか演劇の世界で、アレキサンダーが図書館を作ったとか、グーテンベルク活版印刷とか、デューイの十進分類とか、そんなセリフを耳にするとはねぇ。観客のひとびとは図書館おたくな会話をどのように聞いていたんでしょう。
で、さらに中身、というかハリーの主張に耳を傾けると、カード目録は(1)検索に要する時間が速い(2)検索結果が正確(3)付随する情報が豊か、ということを例を挙げて説明してるんだけど、それって本質的なことなのかな?どうも私にはハリーがうまくコンピュータを使えていないことが原因のように思える。ハリーくらい若くてかつ本と図書館に対して情熱があるなら、コンピュータの世界をちょっと勉強して目録カード以上の図書館システムをつくってくれよぉ、とひじょーに思った。
むしろその意味で、若造→コンピュータ化に反対、年寄の偉い人→コンピュータ化を推進という、通常とは逆の立場になっているのはなぜだろう。例えば「定年間近の図書館員が近年のコンピュータ化に反対して爆弾を持って図書館にたてこもる。説得に来たのは若くてコンピュータを使いこなしている刑事」という展開だったらどうだろう。そのほうがありふれている。そのほうが「時代に取り残される老人」の哀しさが強調されてしまう。「ディファイルド」ではあえてその立場を逆転させることで、「過剰に純粋な青年」と「なだめる中年」の対話になっている。もちろん青年の直接の相手(図書館のえらいひと)がでてきてしまってはいけない。土台が同じ相手がでてきてしまっては、そこには立場の上下がはっきりとでてしまう。だからこそ、爆弾を持ち出したのだ。
ハリー演じる大沢たかおはセリフが聞こえずらかったけど、それは滑舌が悪いんじゃなくて、不安定な精神状態を表してたんですかね。ただ最初のほうで繰り返してた、爆弾のスイッチを持った右手を挙げるしぐさが子供っぽいというかわざとっぽく感じました。あまり緊張感が感じられない。そういう演出なんだろうと思うけど。密室での2人のやりとりという点では映画「笑の大学」の方が間合いやしぐさがおもしろかったと思う。
ちなみに今日が千秋楽なので、終演後には大沢たかおに花束を渡す人がいました。改めて彼の立ち姿を見るとかっこよかったです。あのブーツとか服のスタイルもかっこいい。女性比率が高いわけがわかります。