hifie2005-06-30

今年ももう半年終わりですね。
半年前を考えると、、、毎度のことだけど、いろいろあったなぁ。
「時間」や「過去」について考えるときはよく、以前なにかの本で読んだことを思い出す。
人間にとって「過去」は、学校の歴史の時間の「年表」のように、一直線に並んでるものではない。
数直線上の0から-1までの長さは、0から-2までの長さの半分だけど、今から1年前までの「遠さ」は、今から2年前までの「遠さ」の半分なのだろうか。1年前の出来事を思い出すのは、2年前の出来事を思い出すのにかかる時間の半分なのだろうか。それとも、1年前の出来事の記憶量は2年前の出来事の記憶量の2倍なのだろうか。
そんなことはない。たとえば、今から3年前の今日、わたしはワールドカップ勝戦、ドイツ対ブラジルの試合を見てた。試合終了後にカーンがゴールポストに座り込んだのを覚えてる。でも、1年前の6月30日に自分が何をしてたかは覚えていない。1年前のことより3年前のことのほうがよく覚えている。
自分が歩いてきた道を10歩戻るのは、5歩戻るより倍の時間がかかる。でも、記憶はそんなことはない。10年前のことでも、5時間前のことより、鮮明に覚えていたりする。
時間とともに消し去りたい思い出も、いつまでも残ってることもある。逆にちょっと前の行動でもまったく覚えていないこともある。忘れ去ったと思ったことをふとした瞬間に思い出すこともある。
それは、過去は主観的だから。話し上手の自慢話は、どこまでが本当にあった話で、どこからが誇張した話かわからないのと一緒。
ここから話は「自我の同一性、連続性」に進む。昨日の私と今日の私は同一人物なんだろうか、昨日の世界と今日の世界は同一なんだろうかと。同一だとは証明できない、結局のところ自分がそういうふうに認識してるだけ。
I Think, Therefore I am. 私は考えている、だから、この瞬間に私が存在していることは理解できる。でも、それ以外は全て判断できない。
そういう、あやういバランスの中で人は生きてるんだな。